どんどみでいず

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人生詰んでる?あがいてみせる。

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case1. とりあえず休職しない?

この職場(保育園)は、職業あるあるで、体力的にキツく、慢性的に人手不足でした。仕事内容が体力勝負なのは理解していましたが、ただ、仕事そのもの以外で体力を持ってかれるポイントが満載で、そこの負担が大きかったです。まず退職に至るまでの経緯について述べようと思います。

1. 休みが少なすぎ問題。

休みは日曜祝日固定の、土曜は隔週休みでした。これは入る前に知ってはいたのですが、これが厄介なシステムだったんです。まず、2チームに職員を分けて、各チームが交互で土曜当番になる、というシステムでした。でも、何故か連続で土曜当番が続くことがちょくちょくありまして…交互なのでは?と聞くと、答えづらそうに会社カレンダーによる、みたいな返答が…なんでも、園で影響力ある人たちのグループ(仮でa)と、それ以外グループ(b)に分かれており、aの意向ありきという、そういった変則カレンダーらしいのです。もちろん私はb。いやーーーー…つらかった…そもそも行事で日曜が潰れることも多々あるので、それとその謎の土曜当番が組み合わさる(←aの皆様も行事と土曜が続くのはお辛いのでしょう…)と、あら〜気づいたら12日勤務だわ♫となり、月末になってみて、あら〜今月は5日休みだわぁ…みたいなことも起きてしまうのです。これが定時で帰れるならまだしも、人手不足のため早出、残業がデフォルトで、加えて職業柄?家でも持ち帰りが通常、ということもあり、心身を休めるタイミングがなかったので、どんどん心身両方を病んでいきました。(お子さんの命を預かる仕事なので、神経使うんですよね。。)たまの休みや行き帰りは、何かを考えることももうしたくなくて、本当にただ空っぽの状態でした。もはや自殺を考えたり、する気力もなにもなくて、何らかの原因で(気象とかミサイルとか…本当不謹慎で申し訳ないけどそう思わなきゃ平常を保つことなんて不可能だったんです…)物理的に職場がなくなっちゃえばいいのに…とか、そんなことばかり頭に浮かんでいる状態でした。

2. 身体を壊しました

退職が頭をよぎってた頃は、十分に休めていなかったことで(主に理由1.のため)、もう正直精神的に追い込まれていました。とにかく休みたい…寝たい…それしか考えられなくて。そんなある日の朝、決定的な事態が発生しました。腰に激痛がはしり、起き上がれなかったんです。…衝撃でした…だって起きられないんですもん。そんなこと初めてだったし、状況を理解というか、受け入れるのも容易ではありませんでした。ただ、まともに考えることが出来なくなってた当時の私でも、この状態じゃ今日はとにかく行けないから、連絡しなきゃ…ということだけは分かったので、その一心で這ってスマホの元へ行き、とにかく連絡して、その日は一日伏せってました。翌日も激痛は続き、でもなんとか起き上がれる状態にはなってたので立ってみると、これまた衝撃。歩くと膝に激痛が走る状態でした。前日はトイレとか水分補給もほぼ這って移動してたから気づかなかったけど、えー……膝もなの…?それとも這ってたせいで膝痛めた?…色々可能性が浮かんだけど、とにかく病院へ。腰はぎっくり腰or ヘルニア手前状態だったみたいで、両膝は水が溜まって正座や座位の姿勢をとれる状態じゃないって…。

「ぎっくりは本当に突然起こるんだけど、これ突然起きた感じじゃないね。腰も膝も毎日酷使してた感じだけど、ずっと痛かったの我慢してたでしょ?もっと早く来なきゃダメ。もしもっと遅く来てたら手後れになってたよ」

と言われました。…絶望しましたね…痛みを感じられないくらい私の神経が弱ってたのか、考えることを脳が拒否してたのか…毎日心身の疲労は限界にきてたけど、でもこんなに痛いと感じたことなかったんだけどなぁ……正直、このとき糸がぷつんと切れた感じでした。痛みが分からないって終わってんな私、って。そりゃ毎日4人くらいの子供を一気に抱えるときとか、膝ついて床掃除みたいなのを数時間延々とやるときは、ちょっと違和感ていうか、痛いなーみたいな感じ、たまにあったけど、でもそんなのすぐ忘れちゃうくらい次から次にやらなきゃいけないことがあって、全然気づかなかったわ…こんな、急に痛くなって急に起き上がれないことがあるなんて、想像もしたことなくて、実際自分が経験するとショックの大きさは計り知れないものでした。あと、これは個人的な問題ではあるんですけど、私、以前に足の神経が断裂して、でも日常生活では問題ないところまでリハビリで回復したこともあって、切れたままという状態なんですね。なので、

「そんなグラグラの足首で、よくここまでもったと思うけど…今後も同じ環境の中で仕事していくなら、ずっとその痛みとは付き合ってかなきゃいけないと覚悟しないと。今の状態良くなっても、また再発すると思ってた方がいい。」

とも言われました。今後保育士という仕事も出来なくなるのかな、じゃあどうやって生きていけばいいのかな…とか。保育士で一生生きていこうと決意して社会人で転職してますから、目先の転職問題で済まなかったんですよね私の場合。そして目先の問題といえば、たとえ身体が治って復帰したとしても、この激務は終わらないことが分かっていて、続ける自信が1ミリもおきなかったことです…そもそも精神的に追い詰められてましたからね…肉体的にも限界を感じたとき、ぷつっと切れて、退職への決意を一気に固くしました。

3. 話すら聞いてくれない問題。

今すぐ退職したかったけど、人手不足なのは身を持って体感していましたし、社会人的にもちゃんと1ヶ月前に言わないと…と思ってしまう、こんなときでも真面目さを捨てきれない私は、全身激痛がはしる身体をひきずって、コルセットとサポーターを全身に装着しながら、なんとか職場までたどり着き、園長に(簡潔に)身体を壊したので退職したい旨を伝えました。すると、「考えすぎよ。あと少し休めば治るから。あとは事務長(と言っても事務関連をやってる方はその人のみでしたが…)に話しておいて。退職のことじゃなくて、今まで休んだ分(←腰と膝の件で1週間休んでた)についてよ」と話を切り上げて逃げられてしまいました…唖然。。

いや園長…マジか…だから電話でもまともに話してくれなかったのか…実は動けなくなって

「これはせめて一週間くらいは休まないと」

って医者から言われてそれを園に伝えるときに、一週間休む訳だし、ちゃんと園長に言った方がいいよなと思って園長にお話したいと何回か言っていたのですが、すべて断られていました。そのときは忙しいのかなと思ったのですが、後々それを信頼できる先輩(←数人いたのが救いでした…)に話したところ、園長自身はそういう退職関連の話を一切したくないそうで、今までもそうやって事務長に任せて逃げ切ってきた実績がばっちりとのこと…いや園長(長ですからね…)としてどうなのそれ…。

もう園長に話して筋を通すとかどうでもいい、とにかくこんなことやってる今も激痛が続いてるし、気を緩めると涙出るし、こんな心身状態で保育なんて出来ない、最低限子どもたちや親御さんにご迷惑はかけたくない、その一心で事務長に言うと、タイトルの通りで、

「うん、言いたいことは分かったから、とりあえず休もう?休職っていうのがあるからね。」

いや…えっと…そうじゃなくて…私、現在の状態が改善されても常に再発のリスクがあるから続けられそうになくて…とか、言わなきゃと思った言葉はシャットアウトされて、その話はそれで終了。でももうこのときの私にはそこで考えたり言い返すパワーもなくて、むしろ「今日は来たんだからやれることやって。」と言われて書類の整理とかやる流れに…いや...まぁ出来る仕事ならやりますよ、椅子に座れれば作業は出来る状態までになんとかなってたのでね。…でもね、書類の整理とかすぐに終わって(←だろうなと思ってたよ…)、結局手持ち無沙汰に。他にもありますか?って聞きたくとも、事務長も現場に出ていて不在…聞かずとも分かってた、保育の、仕事の手が足りないんだよここはさー…。

4. 心身の不調は甘えという認識の世界

あんなに持ち帰りやら残業やら休憩時間を惜しんでまで追われてた書き物たちも、結局子どもたちを見た上での保育日誌だったり、目標プラス成果の記入なので、一週間とはいえ子どもたちを見てない状態で書けるものもなく…(嘘は書けない真面目さを発揮)。保育の現場で、膝と腰を負傷した保育士が出来る仕事ってマジでないんだな…という現実を受け入れました。さすがに帰るにしても、一言言ってからだよな…と思って周りを伺ってたら、主任(←直属の上司でもありました)が勢いよく目の前に現れて、彼女から言われた言葉に凍りつきましたね…

「何ぼーっと座ってんのよ?!話が済んだら早くクラス入って!」

え、マジで私の状態伝わってないのか…?これイチから言わなきゃいけないの…とか脳内に色々駆け巡ったけど、とりあえず今言われたことに関してはなにか答えないと…

「いや入りたいんですけど、申し訳ないんですが腰と膝が痛くて、地面に座れないんです。。痛みを押して座っても、今度はまた立つのも痛いので、今保育は出来る状態じゃなくて…」

と言うと、これまた耳を疑う発言が。。

「いやあんた何言ってんの。どの先生も私もみんな、腰も膝も痛くたってやってんのよ?座れない訳ないでしょ。か弱いのは分かってたけど、あんただけ特別扱い出来ないから。今まで散々休んだんだからもう良くなったでしょ?あんたが入ったって人が足りないんだから、碌に使えないとしてもせめてあんたは入ってもらわなきゃまわらないんだからね!」

と言われ、…うん…なんか一つ一つに矛盾を感じたけど、でももうそういうのも(いい加減しつこいけど)本当に疲れていたので…もうそんなに言うなら彼女の気が済むまで保育に入って立ってればいいか…みたいな気持ちに(思考を放棄)。でも事実無根なんだよね…多少痛くたって今まで休んだことなかったし、痛いとか言ったことなかったのに…ワガママ扱い嘘つき扱いって…仕事のことを言われるならまだしも、人間性を否定(しかも事実無痕)って…精神病んだ原因の一つは確実にあなただよ…

4. 満足に保育が出来ない状態を痛感。

言われるままに保育に入ってみて、分かってはいたけど地面に座れないのはマジで保育には致命的でした…子どもたちがわーーって集まってきて、「せんせー!せんせいー!」と言ってくれるのにしゃがむことすらできない…マジでこのとき本当に泣きたくなりましたね。さっき退職を突っぱねられたときも、人間性を根底から否定されたときも感情抜け落ちたんじゃないかってくらいに何の感情も湧かなかったのに、このときには、悲しさと悔しさと辛さが一気にきて。なんで立ってればいいや…とか思ったんだろう…子どもたちをちゃんと見れないのに何でここにいるんだろう…と。更に効いたのが、子どもに心配されてしまったことです。私が多分泣きそうな顔をしてたのと、一週間位ぶりに子どもたちに会ったっていうのもあってか、子どもたちが

「せんせー!!大丈夫?まだ元気でないの??」

と聞いてくれて、もう涙腺決壊しそうでしたね…全身の痛みを押してトイレに駆け込みました⁠(⁠;⁠´⁠∩⁠`⁠;⁠)。いやもうね…このとき本当に張りつめてた糸がぷつっ…て切れた気がしました。もう無理だわ…って。せんせーとか言われる資格ないじゃんね…って。

でもこんな状態でもとにかく今だけはなんとか保育に入らないと主任にまた言われる…今なにか言われたらもうマジで耐えられないな…と思って、僅かな気力を振り絞って、心を奮い立たせて保育に入りました。最初に言われたときは立ってればいいでしょとか思ってたけど、実際子どもたちがいて立ってる訳にいかなくて。でも座るのが痛い、痛みを押して座ったら今度は立つのが痛い、そんな状態だったので、どっちにしても子どもたちの危険を止めることが出来なかったんです。

1歳児クラスだった(そもそもこのクラスの子たちの大半が色々問題を抱えていた)こともあって、かみつき、引っ掻きなどが日常茶飯事で、これを事前に察知して止めないといけないのに、その予兆に気づいても身体がついてかなくて…。子どもたちに一番申し訳ないことをしてしまった…そんな気持ちでいっぱいでした。やっぱりこんな状態で保育に入ってはいけなかった。。。

どんなに罵られても、号泣しながらでもこの状態で保育に入ることは主任に断らないといけなかった…今回は、いつものこと、のうちに入ったかもしれないけど、取り返しのつかないことになってた可能性も十分に考えられました。私の現状を理解してくださってた先生からは、フォローもして頂いたのですが、主任や影響力大チームからは散々怒られました。ここで最後の糸がぷつっと切れましたね。だからムリだってあんなに言ったのに…自分の状態が辛いという理由だけじゃなく、下の立場の人間の言葉は忘れるのか…自分の意見や考えしか頭に残らないのか…

 

…とにかくもうムリだ私には。それしか考えられなくて、改めて退職の決意をしました。